TIMELINE OF EVENTS

歴史年表

戦前暦225〜130年 カイゼリア征服時代
この時代、数多の小国家に分かれていたカイゼリアは、カイザー・ネアポルローヴェのもとで統一を成し遂げる。
戦乱の初期、戦場を支えたのは騎馬の騎士たちであった。だが時代が進むにつれ、その主役は銃と大砲を携えた兵士たちへと移り変わっていく。
かくして新たに成立したこの国家は、後にカイゼリアの名をもって知られることとなった。

戦前暦190〜70年 機械進化の時代
革新的な機械技術の発展は、工業生産と社会構造をかつてない速度で押し進めた。
文明は、誰ひとり想像しえなかった高みへと到達する。
その一方で、戦争もまた、かつてない残虐さの深淵へと沈んでいった。

戦前暦98年
初の動力式エアロスタット気球による飛行が成功し、北ブリトニーからロゼニアへの海上横断が達成される。

戦前暦83年
史上初の装甲車、シムズ・バトルカーが実戦投入される。

戦前暦10年
グランド・ブリトニー海軍のウィリアム・トラウト提督がゴンド領海を侵犯し、数週間に及ぶ海上衝突が発生する。
最終的には政治交渉によって収束したが、この一件は後に「トラウト事件」と呼ばれるようになる。

戦前暦9年
カイゼリアでは政治権力がカイザーと宮廷へ集中し、国家体制は大きく変質する。
この改革期を経て、国家はニュー・カイゼリアと呼ばれるようになった。

戦前暦8〜3年 ヒランド反乱
北アルカバンのヒランド地方で、過酷な税負担に対する不満を背景に、ブリトン系とカイゼリア系の労働者たちによる連合勢力が蜂起する。
彼らは両国からの独立を宣言し、地域は長く不安定化することとなった。

戦時暦001年
ロゼニア亡命皇太子フェリクス・フリードリヒと、その妻であるブリトニカ貴族アレクサンドリナ・ハイヒル公爵夫人が暗殺される。
この事件を引き金として、同盟、威嚇、条約が連鎖的に発動し、アーデの大半の国々は急速に三大勢力へと再編されていった。
同盟と帝国が国境を接する南部戦線は、瞬く間に激戦地と化す。

戦時暦003年
南部戦線での進撃は完全に停滞し、両軍は塹壕を築いて膠着した消耗戦へと沈み込んでいく。

戦時暦004年
ロゼニア皇帝の死により、複数の後継候補が王位を主張し、ロゼニアは内戦状態へ陥る。
ブリトニカ同盟とカイゼリア帝国は、それぞれ分散した諸勢力へ秘密裏に支援を行った。

戦時暦004年・冬
神秘家ラジヴィールがクリークスディーナー教団内で急速に権力を伸ばし、カイザー・ヴァルミール七世の側近として深く食い込んでいく。
彼の影響力とともに、教団が予言する「栄光ある百年戦争」が世界を変えるという思想は広まり、やがて戦時世紀(War Century)という呼び名が世に定着していった。

戦時暦005年・春
ヤマイチ支配領は伝統回復政策の一環として、遠征軍を本土州ヒャッコク西方へ進出させる。
この動きにより、二正面作戦を恐れるカイゼリア帝国との関係は急速に悪化した。

戦時暦005年・秋
ノルブルク計画のもと、カイゼリア軍は中立国ロゼニアを経由して南部塹壕線を迂回しようと試みる。
これを察知したロゼニア駐留ブリトニカ「平和維持軍」は迎撃に動き、悪天候と泥濘に阻まれた進軍は大きく鈍る。
地元抵抗勢力とブリトニカ前衛軍による苛烈な後退戦が展開され、ロゼニアではこの夜を後に「ブリノフ――嵐の夜」と呼ぶようになった。

戦時暦006年
嵐の夜を境に、ロゼニアの民衆はブリトニカ支持とカイゼリアへの恐怖のあいだで深く分裂する。
国内対立は二つの貴族勢力を軸に固定化され、それぞれが地理的条件に従って主要二勢力のいずれかへ与するようになっていく。
西の王位請求者モミルのアデラ大公女は、ブリトニカのセルプノワール子爵と婚姻し、これに対抗する東方宮廷はカイザーへクリークスディーナーの血盟を誓う。
こうして東方宮廷は、宗教的結びつきを通じた事実上の属国となった。

戦時暦008年
ダルメシア群島におけるブリトニカとヤマイチの商業活動は、正体不明の戦闘機械による襲撃を報告する。
両国は当初これを地元海賊の仕業と見なしたが、謎の機械に関する報道が過熱するにつれ、次第に互いの関与を疑うようになる。
この遺恨は、その後十年にわたって燻り続けた。

戦時暦009年 ゼーホンド遠征
ラジヴィールは、カイゼリアの支援を受けたクリークスディーナー教団員を率い、ブリトニカ中央部アイル・ア・フォンへ秘密襲撃を敢行する。
そこで神話上の超兵器の残骸が発掘・回収された。
持ち帰られた遺物の調査により、その動力源が未知の起源をもつエネルギーを放っていることは判明したものの、出力は低く、実用にはほど遠かった。
初期の複製や兵器転用の試みも失敗に終わる。
これに対抗して、グランド・ブリトニーはロゼニア戦線で新たな攻勢を開始し、機動力を生かした電撃的攻撃を展開した。

戦時暦010年・早春
技術助手ハンス・ナクトゲボルンは、アイル・ア・フォン遺物の関節や動力連結部の研究を進める傍ら、余暇に小型の歩行戦車模型を作り始める。
そのわずか三か月後、ニュー・カイゼリアはA1シュトゥルムロイファーの実動試作機を完成させていた。
部品には偽装のため「戦車砲塔/頭部上部品」と記されており、ここから「タンクヘッド」という通称が生まれた。

戦時暦010年・夏
A7Vシュトゥルムシュライターの初実戦投入によって、ニュー・カイゼリアとグランド・ブリトニーの南部戦線防衛線はついに突破される。
七年以上にわたり動かなかった前線は、このとき初めて動き出した。
カイゼリア帝国は新兵器の力を背景に着実な前進を続けるが、その進撃を止めたのは、秋に戦場が泥濘化してからであった。

戦時暦011年・春
カイザー・ヴァルミール七世は、リベルテラ西岸とニュー・カイゼリア東方領のあいだに難攻不落の緩衝地帯を築くことを狙い、ヤマイチへタンクヘッド技術を供与して不可侵条約を結ぶ。

戦時暦011年・夏
同盟側は初めてタンクヘッド Mark I を実戦投入し、タンクヘッド同士の戦いが現実のものとなる。
その後まもなく、反動問題を補うためジャイロジェット砲が試験され、やがてタンクヘッドの標準兵装として定着していった。

戦時暦011年・秋
ラジヴィールは、瀕死のカイザーから生命力を奪うべく異端儀式や呪詛を行ったとして告発される。
やがてヴァルミール七世が病死すると、怒れる群衆はラジヴィールを殺害した。
刺され、斬首され、焼かれ、なおその首は大砲で吹き飛ばされる瞬間まで笑っていたと証言する者すらいた。

戦時暦012年 停戦
君主の死によって帝国全土で攻勢は停止し、政治の関心は内向きへと反転する。
双子の継承者の後見権をめぐる熾烈な争いの末、九人の後見人評議会が成立するが、彼らは本来の責務よりも互いの牽制に多くの力を費やすことになった。
混乱したニュー・カイゼリアに対し、将軍たちは同盟側の反攻を恐れ、場当たり的な停戦交渉を結ぶ。
双方は、大型タンクヘッドを含む重軍用車両の生産を一時停止することで合意した。

戦時暦013年
若き双子の皇位継承者ヴァイムント二世とヴァイリンデ四世は、いまだ十歳でありながら政治と軍事への関与を強めていく。
その激烈な個性は後見人評議会を圧倒し、軍は失地回復のみならず、新たな征服計画すら構想し始めた。
宮廷内のクリークスディーナー教徒たちは、この双子こそラジヴィールの実子であり、戦神の転生した預言者だと囁いた。

戦時暦014年・秋
戦時暦008年の襲撃を思わせる正体不明勢力による新たな攻撃がダルメシア群島で発生し、長年燻っていた遺恨がついに噴き出す。
ブリトニカ系とヤマイチ系の労働者のあいだでは、半ダースもの島々で局地戦が勃発した。
ブリト政府はこれをカイゼリアの仕業と断じ、未知の水陸両用タンクヘッドによって両国を争わせようとしていると非難したが、事態は収束するどころかさらに悪化していく。

戦時暦014年 年末紛争
ロゼニア北東部スオロス州は、国家安全保障の名のもと帝国が要求した軍事検問所と防衛線の建設を拒否する。
四度目の拒絶を受けたカイゼリアは、戦時暦014年最後の日にロゼニアへ侵攻した。
兵力と装備では優勢だったものの、厳冬と必死のロゼニア抵抗によって甚大な損害を受け、撤退を余儀なくされる。

戦時暦015年・早春
カイゼリア帝国は、膠着した南部戦線の比較的手薄な地域へ大規模偵察遠征を送り込み、前進可能な経路を探る。
同盟側を臆病で戦意に乏しいと誤認していたが、実際には積極的な交戦を望む哨戒部隊とたびたび衝突した。
双子のカイザーが外交的解決を妨げた結果、戦時暦015年3月、正式な再宣戦がなされる。

戦時暦015年・夏
ダルメシア群島のヤマイチ支配下、ロイヤルベイ港に滞在していた少数の元ブリトニカ軍将校と海軍関係者が、港内に停泊していたカイゼリア駆逐艦を秘密裏に沈めようと試みる。
破壊工作そのものは独断であったが、事態は制御不能に陥り、ついにはヤマイチと同盟の正式な宣戦布告へと発展した。

戦時暦015年・冬
十二歳となったカイゼリア帝国の双子継承者は、ブリトニカ同盟に対抗する同盟関係を強化するため、歴史あるヤマイチの首都ナラクラを訪れる。
そこで彼らは、神話の皇帝以来空位のままである玉座を見せられる。
それはヤマイチ諸州が対等な立場で自らを治めている象徴であった。
しかし双子はその巨大な玉座に腰掛け、自らこそ二国を治める双帝にふさわしいと宣言する。
この醜聞が市井へ漏れると、首都には暴動が発生し、カイゼリア側は海軍輸送船へ逃げ帰ることとなった。

戦時暦016年・春
暴動はヤマイチ全土へ広がる。
ヤマイチ政府はまず嘆願し、次に正式な謝罪を求めたが、最初の二人の使者は嘲笑され、三人目は双子の威厳を傷つけたとして処刑された。
ここにヤマイチはついにカイゼリア帝国へ宣戦布告し、世界の大半が全面的な戦争状態へと突入する。

戦時暦017年
最初の歩行戦艦ドレッドノートが実戦配備される。

戦時暦019年 モミル強襲
ロゼニア規格の軌道を走れるよう改造した装甲列車二両を用い、カイゼリア軍はロゼニアのホネダー州モミル周辺防衛線を突破する。
この地域は周辺で最後まで真の中立地帯とされていたが、同年のうちにカイゼリアが全域を占領した。

戦時暦021〜022年 グレガーレ諸島戦役
ヤマイチ軍は北グレガーレ海の遠隔諸島を占領し、リベルシア海北部における同盟・カイゼリア両海軍の動きを抑えようとする。
だが、極端な気候と地形のため偵察は困難を極め、カイゼリア軍もリベルテラ軍も、反攻時にはすでに放棄されていた島々を砲撃する結果となった。

戦時暦022〜026年 ジアヌーグ諸島占領
ロゼニア北方の島嶼群は戦略価値が低いと見なされ、大規模戦闘を免れていた。
そのため守備兵は徐々に他戦線へ回されていく。
その後二年間、カイゼリア軍は依然として同盟軍が駐留していると誤認し、散発的な砲撃を続けた。
戦時暦025年末、ついに東端テクシー島へ上陸したカイゼリア軍は、そこが無防備であることを知る。
そして翌026年初頭までに諸島全体を占領したが、同年後半には同盟海軍歩兵によって再奪還された。

戦時暦025年 無為の年
いずれの軍勢も決定的な戦果を挙げられなかった年。
残されたのは甚大な犠牲と破壊のみであり、何ひとつ得るもののない一年であった。

戦時暦028〜029年 第一次グリゴモス会戦
カイゼリア軍は戦力集中によってロゼニア首都グリゴモスへ急進するが、同盟の反攻によって阻止される。
その後一年以上にわたり前線は塹壕戦へ固定され、これがカイゼリア最後の有効な電撃攻勢の終焉と見なされる。
この攻撃の後、ロゼニアの首都はグリゴモスから移されることとなった。

戦時暦033年 カースクダインの戦い
南部戦線におけるカイゼリア突破によって、同盟軍の大部分は包囲され、数の上でも劣勢へ追い込まれる。
壮絶な撤退戦と海上撤収は、後に伝説として語り継がれることとなる。

戦時暦034年
ジェットヘッドが初めて公式に実戦投入される。
この俊敏な航空戦力の出現は空中戦の様相を一変させ、以後、精密な対空兵装の必要性が決定的に高まった。

戦時暦036年 第二次グリゴモス会戦と包囲
夏、カイゼリア軍はノヴグリョフ州を経由する新ルートから旧ロゼニア首都グリゴモスへ進軍する。
この包囲戦は、ほぼ千日に及ぶ長期戦となった。

戦時暦038年 クライタイ島の戦い
ヤマイチ軍はレヴァンテ海最大の島に対して大規模空挺強襲を敢行する。
島のカイゼリア守備隊の多くは懲罰的に配置された部隊であったが、予想を超える抵抗を見せた。
しかし最後には致命的な判断ミスにより飛行場を失い、ヤマイチは増援を送り込んでほどなく島を掌握した。

戦時暦039年 グリゴモス包囲戦終結
包囲するカイゼリア軍はついにグリゴモスを陥落させ、旧ロゼニア首都を占領する。

戦時暦041年 アサコロ港襲撃
カイゼリア軍の奇襲により、老朽化したヤマイチ・ダルメシア艦隊の大部分は港内で不意を突かれる。
この襲撃を境に、ダルメシア海域の各海軍勢力は受け身の防衛から、より積極的な交戦へと移行していった。

戦時暦041年 イゼルハルト機関の初成功再現
グリゴモス地下で発見された資材を用い、カイゼリアは逆解析によって安定したイゼルハルト機関の再現に成功する。
これはシュヴァルツナー・リアクターと名づけられたが、必要な希少燃料の不足により、その運転はごく短時間に限られた。

戦時暦043年 スカラ・デルタの戦い
同盟軍はロゼニアのスカラ川デルタ地帯へ水陸両用強襲を仕掛け、港湾都市ヴートホーイ深水埠頭への通路確保を図る。
しかし、双子のカイザーの驚異的な先見性と同盟側の遅延により、帝国軍はあらかじめデルタ諸島の防衛を強化していた。
泥濘の中で一か月に及んだ激戦の末、勝利したのは同盟側であった。

戦時暦044年 フル作戦
歴史上もっとも大胆な海軍奇襲の一つ。
00/A2ウラシマタロウ・タンクヘッドの支援を受けたヤマイチ志願兵部隊が、イド湾にあるカイゼリアの重要なシップヘッド整備施設を破壊する。
これ以降、カイゼリアのシップヘッドは修理のたびにネハリアン海峡の港まで戻らなければならなくなった。

戦時暦045年 ランペ線攻撃
カイゼリア軍は、グリゴモス再奪還を狙う同盟軍を阻止するため、西ロゼニア戦線で大規模反撃を行う。
同盟側はほぼ完全に不意を突かれ、厳冬によって補給線も断たれた。
森林地帯での近接戦闘と極寒は、十万人を超える命を奪う、戦争屈指の凄惨な戦いを生み出した。

戦時暦046年 初の電圧エネルギー投射兵器試験
シュヴァルツナー・リアクターを用いて、カイゼリア帝国は電圧光子放射兵器の発射試験に初めて成功する。

戦時暦046年 ヌヒヒ・シール諸島戦役
同盟海軍と支配領海軍がリベルシア海で互いに深く絡み合う中、カイゼリアはその隙を突き、ヤマイチ軍のヌヒヒ・シール諸島を無力化、あるいは占領するため大規模海上攻勢を仕掛ける。
この戦役では、グナイゼナウ、グラーフ・ツェッペリン、ヤマト、ムサシらを含む、カイゼリアとヤマイチの巨大シップヘッド同士による壮絶な激突が繰り広げられた。

戦時暦047年 年始の日―ラッテ解放
年初最初の日、カイゼリアは未完成のラッテ試作機を南部戦線へ投入する。
それは当時、史上最重量の陸上兵器であった。
暴走する巨獣を撃破する戦いには、丸二日を要した。

戦時暦047年・春 オーバーヘル作戦
カイゼリア軍は、同盟の生産能力を混乱させることを目的に、リベルテラへの海空連携侵攻を開始する。
戦いは短期間ながら凄惨な消耗戦となり、とりわけ帝国軍が大きな損害を受けて撤退した。

戦時暦047年・秋 ノヴグリョフの裏切り
西ロゼニアのノヴグリョフ州は、新たな首席行政官にセルゲイ・アルラーダーを選出する。
彼は就任直後に東ロゼニアへの忠誠を宣言し、これによってボル=オベズ・タンクコング工場は失われた。

戦時暦048年 ゴッドヘッド計画発覚
カイゼリア帝国のオーバーヘル作戦失敗後の混乱に乗じ、ヤマイチの諜報員たちは、帝国がグリゴモス地下で発見された遺物を用いて超兵器を開発している事実を確認する。
この情報は同盟情報部へと流出した。

戦時暦049年 グランドマスター・ギャンブル
カイゼリア帝国は、他勢力の予想をはるかに上回る速度でゴッドヘッド超兵器を完成させる。
これに対し、ブリトニカとヤマイチは絶望的な同盟を結び、「グランドマスター・ギャンブル」のコードネームのもと共同打撃作戦を発動した。
最終的にゴッドヘッドの無力化には成功したものの、同盟・支配領両軍は敵地深くで著しく戦線を伸ばし過ぎた状態に陥る。
カイゼリア本土は、なおも必死の敵軍であふれ返っていた。
全交戦勢力が脆弱な状態へと追い込まれたことで、小競り合いが続く最中にもかかわらず拙速な停戦が成立する。
その後の交渉はタウベンゼー協定へとつながり、ネヴァーウォーは五十年目を迎える前日に終結した。

戦時暦055年
[機密事項。詳細は Mechanical Encyclopedia を参照。]

TIMELINE OF EVENTS

歴史年表

戦前暦225〜130年 カイゼリア征服時代
この時代、数多の小国家に分かれていたカイゼリアは、カイザー・ネアポルローヴェのもとで統一を成し遂げる。
戦乱の初期、戦場を支えたのは騎馬の騎士たちであった。だが時代が進むにつれ、その主役は銃と大砲を携えた兵士たちへと移り変わっていく。
かくして新たに成立したこの国家は、後にカイゼリアの名をもって知られることとなった。

戦前暦190〜70年 機械進化の時代
革新的な機械技術の発展は、工業生産と社会構造をかつてない速度で押し進めた。
文明は、誰ひとり想像しえなかった高みへと到達する。
その一方で、戦争もまた、かつてない残虐さの深淵へと沈んでいった。

戦前暦98年
初の動力式エアロスタット気球による飛行が成功し、北ブリトニーからロゼニアへの海上横断が達成される。

戦前暦83年
史上初の装甲車、シムズ・バトルカーが実戦投入される。

戦前暦10年
グランド・ブリトニー海軍のウィリアム・トラウト提督がゴンド領海を侵犯し、数週間に及ぶ海上衝突が発生する。
最終的には政治交渉によって収束したが、この一件は後に「トラウト事件」と呼ばれるようになる。

戦前暦9年
カイゼリアでは政治権力がカイザーと宮廷へ集中し、国家体制は大きく変質する。
この改革期を経て、国家はニュー・カイゼリアと呼ばれるようになった。

戦前暦8〜3年 ヒランド反乱
北アルカバンのヒランド地方で、過酷な税負担に対する不満を背景に、ブリトン系とカイゼリア系の労働者たちによる連合勢力が蜂起する。
彼らは両国からの独立を宣言し、地域は長く不安定化することとなった。

戦時暦001年
ロゼニア亡命皇太子フェリクス・フリードリヒと、その妻であるブリトニカ貴族アレクサンドリナ・ハイヒル公爵夫人が暗殺される。
この事件を引き金として、同盟、威嚇、条約が連鎖的に発動し、アーデの大半の国々は急速に三大勢力へと再編されていった。
同盟と帝国が国境を接する南部戦線は、瞬く間に激戦地と化す。

戦時暦003年
南部戦線での進撃は完全に停滞し、両軍は塹壕を築いて膠着した消耗戦へと沈み込んでいく。

戦時暦004年
ロゼニア皇帝の死により、複数の後継候補が王位を主張し、ロゼニアは内戦状態へ陥る。
ブリトニカ同盟とカイゼリア帝国は、それぞれ分散した諸勢力へ秘密裏に支援を行った。

戦時暦004年・冬
神秘家ラジヴィールがクリークスディーナー教団内で急速に権力を伸ばし、カイザー・ヴァルミール七世の側近として深く食い込んでいく。
彼の影響力とともに、教団が予言する「栄光ある百年戦争」が世界を変えるという思想は広まり、やがて戦時世紀(War Century)という呼び名が世に定着していった。

戦時暦005年・春
ヤマイチ支配領は伝統回復政策の一環として、遠征軍を本土州ヒャッコク西方へ進出させる。
この動きにより、二正面作戦を恐れるカイゼリア帝国との関係は急速に悪化した。

戦時暦005年・秋
ノルブルク計画のもと、カイゼリア軍は中立国ロゼニアを経由して南部塹壕線を迂回しようと試みる。
これを察知したロゼニア駐留ブリトニカ「平和維持軍」は迎撃に動き、悪天候と泥濘に阻まれた進軍は大きく鈍る。
地元抵抗勢力とブリトニカ前衛軍による苛烈な後退戦が展開され、ロゼニアではこの夜を後に「ブリノフ――嵐の夜」と呼ぶようになった。

戦時暦006年
嵐の夜を境に、ロゼニアの民衆はブリトニカ支持とカイゼリアへの恐怖のあいだで深く分裂する。
国内対立は二つの貴族勢力を軸に固定化され、それぞれが地理的条件に従って主要二勢力のいずれかへ与するようになっていく。
西の王位請求者モミルのアデラ大公女は、ブリトニカのセルプノワール子爵と婚姻し、これに対抗する東方宮廷はカイザーへクリークスディーナーの血盟を誓う。
こうして東方宮廷は、宗教的結びつきを通じた事実上の属国となった。

戦時暦008年
ダルメシア群島におけるブリトニカとヤマイチの商業活動は、正体不明の戦闘機械による襲撃を報告する。
両国は当初これを地元海賊の仕業と見なしたが、謎の機械に関する報道が過熱するにつれ、次第に互いの関与を疑うようになる。
この遺恨は、その後十年にわたって燻り続けた。

戦時暦009年 ゼーホンド遠征
ラジヴィールは、カイゼリアの支援を受けたクリークスディーナー教団員を率い、ブリトニカ中央部アイル・ア・フォンへ秘密襲撃を敢行する。
そこで神話上の超兵器の残骸が発掘・回収された。
持ち帰られた遺物の調査により、その動力源が未知の起源をもつエネルギーを放っていることは判明したものの、出力は低く、実用にはほど遠かった。
初期の複製や兵器転用の試みも失敗に終わる。
これに対抗して、グランド・ブリトニーはロゼニア戦線で新たな攻勢を開始し、機動力を生かした電撃的攻撃を展開した。

戦時暦010年・早春
技術助手ハンス・ナクトゲボルンは、アイル・ア・フォン遺物の関節や動力連結部の研究を進める傍ら、余暇に小型の歩行戦車模型を作り始める。
そのわずか三か月後、ニュー・カイゼリアはA1シュトゥルムロイファーの実動試作機を完成させていた。
部品には偽装のため「戦車砲塔/頭部上部品」と記されており、ここから「タンクヘッド」という通称が生まれた。

戦時暦010年・夏
A7Vシュトゥルムシュライターの初実戦投入によって、ニュー・カイゼリアとグランド・ブリトニーの南部戦線防衛線はついに突破される。
七年以上にわたり動かなかった前線は、このとき初めて動き出した。
カイゼリア帝国は新兵器の力を背景に着実な前進を続けるが、その進撃を止めたのは、秋に戦場が泥濘化してからであった。

戦時暦011年・春
カイザー・ヴァルミール七世は、リベルテラ西岸とニュー・カイゼリア東方領のあいだに難攻不落の緩衝地帯を築くことを狙い、ヤマイチへタンクヘッド技術を供与して不可侵条約を結ぶ。

戦時暦011年・夏
同盟側は初めてタンクヘッド Mark I を実戦投入し、タンクヘッド同士の戦いが現実のものとなる。
その後まもなく、反動問題を補うためジャイロジェット砲が試験され、やがてタンクヘッドの標準兵装として定着していった。

戦時暦011年・秋
ラジヴィールは、瀕死のカイザーから生命力を奪うべく異端儀式や呪詛を行ったとして告発される。
やがてヴァルミール七世が病死すると、怒れる群衆はラジヴィールを殺害した。
刺され、斬首され、焼かれ、なおその首は大砲で吹き飛ばされる瞬間まで笑っていたと証言する者すらいた。

戦時暦012年 停戦
君主の死によって帝国全土で攻勢は停止し、政治の関心は内向きへと反転する。
双子の継承者の後見権をめぐる熾烈な争いの末、九人の後見人評議会が成立するが、彼らは本来の責務よりも互いの牽制に多くの力を費やすことになった。
混乱したニュー・カイゼリアに対し、将軍たちは同盟側の反攻を恐れ、場当たり的な停戦交渉を結ぶ。
双方は、大型タンクヘッドを含む重軍用車両の生産を一時停止することで合意した。

戦時暦013年
若き双子の皇位継承者ヴァイムント二世とヴァイリンデ四世は、いまだ十歳でありながら政治と軍事への関与を強めていく。
その激烈な個性は後見人評議会を圧倒し、軍は失地回復のみならず、新たな征服計画すら構想し始めた。
宮廷内のクリークスディーナー教徒たちは、この双子こそラジヴィールの実子であり、戦神の転生した預言者だと囁いた。

戦時暦014年・秋
戦時暦008年の襲撃を思わせる正体不明勢力による新たな攻撃がダルメシア群島で発生し、長年燻っていた遺恨がついに噴き出す。
ブリトニカ系とヤマイチ系の労働者のあいだでは、半ダースもの島々で局地戦が勃発した。
ブリト政府はこれをカイゼリアの仕業と断じ、未知の水陸両用タンクヘッドによって両国を争わせようとしていると非難したが、事態は収束するどころかさらに悪化していく。

戦時暦014年 年末紛争
ロゼニア北東部スオロス州は、国家安全保障の名のもと帝国が要求した軍事検問所と防衛線の建設を拒否する。
四度目の拒絶を受けたカイゼリアは、戦時暦014年最後の日にロゼニアへ侵攻した。
兵力と装備では優勢だったものの、厳冬と必死のロゼニア抵抗によって甚大な損害を受け、撤退を余儀なくされる。

戦時暦015年・早春
カイゼリア帝国は、膠着した南部戦線の比較的手薄な地域へ大規模偵察遠征を送り込み、前進可能な経路を探る。
同盟側を臆病で戦意に乏しいと誤認していたが、実際には積極的な交戦を望む哨戒部隊とたびたび衝突した。
双子のカイザーが外交的解決を妨げた結果、戦時暦015年3月、正式な再宣戦がなされる。

戦時暦015年・夏
ダルメシア群島のヤマイチ支配下、ロイヤルベイ港に滞在していた少数の元ブリトニカ軍将校と海軍関係者が、港内に停泊していたカイゼリア駆逐艦を秘密裏に沈めようと試みる。
破壊工作そのものは独断であったが、事態は制御不能に陥り、ついにはヤマイチと同盟の正式な宣戦布告へと発展した。

戦時暦015年・冬
十二歳となったカイゼリア帝国の双子継承者は、ブリトニカ同盟に対抗する同盟関係を強化するため、歴史あるヤマイチの首都ナラクラを訪れる。
そこで彼らは、神話の皇帝以来空位のままである玉座を見せられる。
それはヤマイチ諸州が対等な立場で自らを治めている象徴であった。
しかし双子はその巨大な玉座に腰掛け、自らこそ二国を治める双帝にふさわしいと宣言する。
この醜聞が市井へ漏れると、首都には暴動が発生し、カイゼリア側は海軍輸送船へ逃げ帰ることとなった。

戦時暦016年・春
暴動はヤマイチ全土へ広がる。
ヤマイチ政府はまず嘆願し、次に正式な謝罪を求めたが、最初の二人の使者は嘲笑され、三人目は双子の威厳を傷つけたとして処刑された。
ここにヤマイチはついにカイゼリア帝国へ宣戦布告し、世界の大半が全面的な戦争状態へと突入する。

戦時暦017年
最初の歩行戦艦ドレッドノートが実戦配備される。

戦時暦019年 モミル強襲
ロゼニア規格の軌道を走れるよう改造した装甲列車二両を用い、カイゼリア軍はロゼニアのホネダー州モミル周辺防衛線を突破する。
この地域は周辺で最後まで真の中立地帯とされていたが、同年のうちにカイゼリアが全域を占領した。

戦時暦021〜022年 グレガーレ諸島戦役
ヤマイチ軍は北グレガーレ海の遠隔諸島を占領し、リベルシア海北部における同盟・カイゼリア両海軍の動きを抑えようとする。
だが、極端な気候と地形のため偵察は困難を極め、カイゼリア軍もリベルテラ軍も、反攻時にはすでに放棄されていた島々を砲撃する結果となった。

戦時暦022〜026年 ジアヌーグ諸島占領
ロゼニア北方の島嶼群は戦略価値が低いと見なされ、大規模戦闘を免れていた。
そのため守備兵は徐々に他戦線へ回されていく。
その後二年間、カイゼリア軍は依然として同盟軍が駐留していると誤認し、散発的な砲撃を続けた。
戦時暦025年末、ついに東端テクシー島へ上陸したカイゼリア軍は、そこが無防備であることを知る。
そして翌026年初頭までに諸島全体を占領したが、同年後半には同盟海軍歩兵によって再奪還された。

戦時暦025年 無為の年
いずれの軍勢も決定的な戦果を挙げられなかった年。
残されたのは甚大な犠牲と破壊のみであり、何ひとつ得るもののない一年であった。

戦時暦028〜029年 第一次グリゴモス会戦
カイゼリア軍は戦力集中によってロゼニア首都グリゴモスへ急進するが、同盟の反攻によって阻止される。
その後一年以上にわたり前線は塹壕戦へ固定され、これがカイゼリア最後の有効な電撃攻勢の終焉と見なされる。
この攻撃の後、ロゼニアの首都はグリゴモスから移されることとなった。

戦時暦033年 カースクダインの戦い
南部戦線におけるカイゼリア突破によって、同盟軍の大部分は包囲され、数の上でも劣勢へ追い込まれる。
壮絶な撤退戦と海上撤収は、後に伝説として語り継がれることとなる。

戦時暦034年
ジェットヘッドが初めて公式に実戦投入される。
この俊敏な航空戦力の出現は空中戦の様相を一変させ、以後、精密な対空兵装の必要性が決定的に高まった。

戦時暦036年 第二次グリゴモス会戦と包囲
夏、カイゼリア軍はノヴグリョフ州を経由する新ルートから旧ロゼニア首都グリゴモスへ進軍する。
この包囲戦は、ほぼ千日に及ぶ長期戦となった。

戦時暦038年 クライタイ島の戦い
ヤマイチ軍はレヴァンテ海最大の島に対して大規模空挺強襲を敢行する。
島のカイゼリア守備隊の多くは懲罰的に配置された部隊であったが、予想を超える抵抗を見せた。
しかし最後には致命的な判断ミスにより飛行場を失い、ヤマイチは増援を送り込んでほどなく島を掌握した。

戦時暦039年 グリゴモス包囲戦終結
包囲するカイゼリア軍はついにグリゴモスを陥落させ、旧ロゼニア首都を占領する。

戦時暦041年 アサコロ港襲撃
カイゼリア軍の奇襲により、老朽化したヤマイチ・ダルメシア艦隊の大部分は港内で不意を突かれる。
この襲撃を境に、ダルメシア海域の各海軍勢力は受け身の防衛から、より積極的な交戦へと移行していった。

戦時暦041年 イゼルハルト機関の初成功再現
グリゴモス地下で発見された資材を用い、カイゼリアは逆解析によって安定したイゼルハルト機関の再現に成功する。
これはシュヴァルツナー・リアクターと名づけられたが、必要な希少燃料の不足により、その運転はごく短時間に限られた。

戦時暦043年 スカラ・デルタの戦い
同盟軍はロゼニアのスカラ川デルタ地帯へ水陸両用強襲を仕掛け、港湾都市ヴートホーイ深水埠頭への通路確保を図る。
しかし、双子のカイザーの驚異的な先見性と同盟側の遅延により、帝国軍はあらかじめデルタ諸島の防衛を強化していた。
泥濘の中で一か月に及んだ激戦の末、勝利したのは同盟側であった。

戦時暦044年 フル作戦
歴史上もっとも大胆な海軍奇襲の一つ。
00/A2ウラシマタロウ・タンクヘッドの支援を受けたヤマイチ志願兵部隊が、イド湾にあるカイゼリアの重要なシップヘッド整備施設を破壊する。
これ以降、カイゼリアのシップヘッドは修理のたびにネハリアン海峡の港まで戻らなければならなくなった。

戦時暦045年 ランペ線攻撃
カイゼリア軍は、グリゴモス再奪還を狙う同盟軍を阻止するため、西ロゼニア戦線で大規模反撃を行う。
同盟側はほぼ完全に不意を突かれ、厳冬によって補給線も断たれた。
森林地帯での近接戦闘と極寒は、十万人を超える命を奪う、戦争屈指の凄惨な戦いを生み出した。

戦時暦046年 初の電圧エネルギー投射兵器試験
シュヴァルツナー・リアクターを用いて、カイゼリア帝国は電圧光子放射兵器の発射試験に初めて成功する。

戦時暦046年 ヌヒヒ・シール諸島戦役
同盟海軍と支配領海軍がリベルシア海で互いに深く絡み合う中、カイゼリアはその隙を突き、ヤマイチ軍のヌヒヒ・シール諸島を無力化、あるいは占領するため大規模海上攻勢を仕掛ける。
この戦役では、グナイゼナウ、グラーフ・ツェッペリン、ヤマト、ムサシらを含む、カイゼリアとヤマイチの巨大シップヘッド同士による壮絶な激突が繰り広げられた。

戦時暦047年 年始の日―ラッテ解放
年初最初の日、カイゼリアは未完成のラッテ試作機を南部戦線へ投入する。
それは当時、史上最重量の陸上兵器であった。
暴走する巨獣を撃破する戦いには、丸二日を要した。

戦時暦047年・春 オーバーヘル作戦
カイゼリア軍は、同盟の生産能力を混乱させることを目的に、リベルテラへの海空連携侵攻を開始する。
戦いは短期間ながら凄惨な消耗戦となり、とりわけ帝国軍が大きな損害を受けて撤退した。

戦時暦047年・秋 ノヴグリョフの裏切り
西ロゼニアのノヴグリョフ州は、新たな首席行政官にセルゲイ・アルラーダーを選出する。
彼は就任直後に東ロゼニアへの忠誠を宣言し、これによってボル=オベズ・タンクコング工場は失われた。

戦時暦048年 ゴッドヘッド計画発覚
カイゼリア帝国のオーバーヘル作戦失敗後の混乱に乗じ、ヤマイチの諜報員たちは、帝国がグリゴモス地下で発見された遺物を用いて超兵器を開発している事実を確認する。
この情報は同盟情報部へと流出した。

戦時暦049年 グランドマスター・ギャンブル
カイゼリア帝国は、他勢力の予想をはるかに上回る速度でゴッドヘッド超兵器を完成させる。
これに対し、ブリトニカとヤマイチは絶望的な同盟を結び、「グランドマスター・ギャンブル」のコードネームのもと共同打撃作戦を発動した。
最終的にゴッドヘッドの無力化には成功したものの、同盟・支配領両軍は敵地深くで著しく戦線を伸ばし過ぎた状態に陥る。
カイゼリア本土は、なおも必死の敵軍であふれ返っていた。
全交戦勢力が脆弱な状態へと追い込まれたことで、小競り合いが続く最中にもかかわらず拙速な停戦が成立する。
その後の交渉はタウベンゼー協定へとつながり、ネヴァーウォーは五十年目を迎える前日に終結した。

戦時暦055年
[機密事項。詳細は Mechanical Encyclopedia を参照。]

TIMELINE OF EVENTS

歴史年表

戦前暦225〜130年 カイゼリア征服時代
この時代、数多の小国家に分かれていたカイゼリアは、カイザー・ネアポルローヴェのもとで統一を成し遂げる。
戦乱の初期、戦場を支えたのは騎馬の騎士たちであった。だが時代が進むにつれ、その主役は銃と大砲を携えた兵士たちへと移り変わっていく。
かくして新たに成立したこの国家は、後にカイゼリアの名をもって知られることとなった。

戦前暦190〜70年 機械進化の時代
革新的な機械技術の発展は、工業生産と社会構造をかつてない速度で押し進めた。
文明は、誰ひとり想像しえなかった高みへと到達する。
その一方で、戦争もまた、かつてない残虐さの深淵へと沈んでいった。

戦前暦98年
初の動力式エアロスタット気球による飛行が成功し、北ブリトニーからロゼニアへの海上横断が達成される。

戦前暦83年
史上初の装甲車、シムズ・バトルカーが実戦投入される。

戦前暦10年
グランド・ブリトニー海軍のウィリアム・トラウト提督がゴンド領海を侵犯し、数週間に及ぶ海上衝突が発生する。
最終的には政治交渉によって収束したが、この一件は後に「トラウト事件」と呼ばれるようになる。

戦前暦9年
カイゼリアでは政治権力がカイザーと宮廷へ集中し、国家体制は大きく変質する。
この改革期を経て、国家はニュー・カイゼリアと呼ばれるようになった。

戦前暦8〜3年 ヒランド反乱
北アルカバンのヒランド地方で、過酷な税負担に対する不満を背景に、ブリトン系とカイゼリア系の労働者たちによる連合勢力が蜂起する。
彼らは両国からの独立を宣言し、地域は長く不安定化することとなった。

戦時暦001年
ロゼニア亡命皇太子フェリクス・フリードリヒと、その妻であるブリトニカ貴族アレクサンドリナ・ハイヒル公爵夫人が暗殺される。
この事件を引き金として、同盟、威嚇、条約が連鎖的に発動し、アーデの大半の国々は急速に三大勢力へと再編されていった。
同盟と帝国が国境を接する南部戦線は、瞬く間に激戦地と化す。

戦時暦003年
南部戦線での進撃は完全に停滞し、両軍は塹壕を築いて膠着した消耗戦へと沈み込んでいく。

戦時暦004年
ロゼニア皇帝の死により、複数の後継候補が王位を主張し、ロゼニアは内戦状態へ陥る。
ブリトニカ同盟とカイゼリア帝国は、それぞれ分散した諸勢力へ秘密裏に支援を行った。

戦時暦004年・冬
神秘家ラジヴィールがクリークスディーナー教団内で急速に権力を伸ばし、カイザー・ヴァルミール七世の側近として深く食い込んでいく。
彼の影響力とともに、教団が予言する「栄光ある百年戦争」が世界を変えるという思想は広まり、やがて戦時世紀(War Century)という呼び名が世に定着していった。

戦時暦005年・春
ヤマイチ支配領は伝統回復政策の一環として、遠征軍を本土州ヒャッコク西方へ進出させる。
この動きにより、二正面作戦を恐れるカイゼリア帝国との関係は急速に悪化した。

戦時暦005年・秋
ノルブルク計画のもと、カイゼリア軍は中立国ロゼニアを経由して南部塹壕線を迂回しようと試みる。
これを察知したロゼニア駐留ブリトニカ「平和維持軍」は迎撃に動き、悪天候と泥濘に阻まれた進軍は大きく鈍る。
地元抵抗勢力とブリトニカ前衛軍による苛烈な後退戦が展開され、ロゼニアではこの夜を後に「ブリノフ――嵐の夜」と呼ぶようになった。

戦時暦006年
嵐の夜を境に、ロゼニアの民衆はブリトニカ支持とカイゼリアへの恐怖のあいだで深く分裂する。
国内対立は二つの貴族勢力を軸に固定化され、それぞれが地理的条件に従って主要二勢力のいずれかへ与するようになっていく。
西の王位請求者モミルのアデラ大公女は、ブリトニカのセルプノワール子爵と婚姻し、これに対抗する東方宮廷はカイザーへクリークスディーナーの血盟を誓う。
こうして東方宮廷は、宗教的結びつきを通じた事実上の属国となった。

戦時暦008年
ダルメシア群島におけるブリトニカとヤマイチの商業活動は、正体不明の戦闘機械による襲撃を報告する。
両国は当初これを地元海賊の仕業と見なしたが、謎の機械に関する報道が過熱するにつれ、次第に互いの関与を疑うようになる。
この遺恨は、その後十年にわたって燻り続けた。

戦時暦009年 ゼーホンド遠征
ラジヴィールは、カイゼリアの支援を受けたクリークスディーナー教団員を率い、ブリトニカ中央部アイル・ア・フォンへ秘密襲撃を敢行する。
そこで神話上の超兵器の残骸が発掘・回収された。
持ち帰られた遺物の調査により、その動力源が未知の起源をもつエネルギーを放っていることは判明したものの、出力は低く、実用にはほど遠かった。
初期の複製や兵器転用の試みも失敗に終わる。
これに対抗して、グランド・ブリトニーはロゼニア戦線で新たな攻勢を開始し、機動力を生かした電撃的攻撃を展開した。

戦時暦010年・早春
技術助手ハンス・ナクトゲボルンは、アイル・ア・フォン遺物の関節や動力連結部の研究を進める傍ら、余暇に小型の歩行戦車模型を作り始める。
そのわずか三か月後、ニュー・カイゼリアはA1シュトゥルムロイファーの実動試作機を完成させていた。
部品には偽装のため「戦車砲塔/頭部上部品」と記されており、ここから「タンクヘッド」という通称が生まれた。

戦時暦010年・夏
A7Vシュトゥルムシュライターの初実戦投入によって、ニュー・カイゼリアとグランド・ブリトニーの南部戦線防衛線はついに突破される。
七年以上にわたり動かなかった前線は、このとき初めて動き出した。
カイゼリア帝国は新兵器の力を背景に着実な前進を続けるが、その進撃を止めたのは、秋に戦場が泥濘化してからであった。

戦時暦011年・春
カイザー・ヴァルミール七世は、リベルテラ西岸とニュー・カイゼリア東方領のあいだに難攻不落の緩衝地帯を築くことを狙い、ヤマイチへタンクヘッド技術を供与して不可侵条約を結ぶ。

戦時暦011年・夏
同盟側は初めてタンクヘッド Mark I を実戦投入し、タンクヘッド同士の戦いが現実のものとなる。
その後まもなく、反動問題を補うためジャイロジェット砲が試験され、やがてタンクヘッドの標準兵装として定着していった。

戦時暦011年・秋
ラジヴィールは、瀕死のカイザーから生命力を奪うべく異端儀式や呪詛を行ったとして告発される。
やがてヴァルミール七世が病死すると、怒れる群衆はラジヴィールを殺害した。
刺され、斬首され、焼かれ、なおその首は大砲で吹き飛ばされる瞬間まで笑っていたと証言する者すらいた。

戦時暦012年 停戦
君主の死によって帝国全土で攻勢は停止し、政治の関心は内向きへと反転する。
双子の継承者の後見権をめぐる熾烈な争いの末、九人の後見人評議会が成立するが、彼らは本来の責務よりも互いの牽制に多くの力を費やすことになった。
混乱したニュー・カイゼリアに対し、将軍たちは同盟側の反攻を恐れ、場当たり的な停戦交渉を結ぶ。
双方は、大型タンクヘッドを含む重軍用車両の生産を一時停止することで合意した。

戦時暦013年
若き双子の皇位継承者ヴァイムント二世とヴァイリンデ四世は、いまだ十歳でありながら政治と軍事への関与を強めていく。
その激烈な個性は後見人評議会を圧倒し、軍は失地回復のみならず、新たな征服計画すら構想し始めた。
宮廷内のクリークスディーナー教徒たちは、この双子こそラジヴィールの実子であり、戦神の転生した預言者だと囁いた。

戦時暦014年・秋
戦時暦008年の襲撃を思わせる正体不明勢力による新たな攻撃がダルメシア群島で発生し、長年燻っていた遺恨がついに噴き出す。
ブリトニカ系とヤマイチ系の労働者のあいだでは、半ダースもの島々で局地戦が勃発した。
ブリト政府はこれをカイゼリアの仕業と断じ、未知の水陸両用タンクヘッドによって両国を争わせようとしていると非難したが、事態は収束するどころかさらに悪化していく。

戦時暦014年 年末紛争
ロゼニア北東部スオロス州は、国家安全保障の名のもと帝国が要求した軍事検問所と防衛線の建設を拒否する。
四度目の拒絶を受けたカイゼリアは、戦時暦014年最後の日にロゼニアへ侵攻した。
兵力と装備では優勢だったものの、厳冬と必死のロゼニア抵抗によって甚大な損害を受け、撤退を余儀なくされる。

戦時暦015年・早春
カイゼリア帝国は、膠着した南部戦線の比較的手薄な地域へ大規模偵察遠征を送り込み、前進可能な経路を探る。
同盟側を臆病で戦意に乏しいと誤認していたが、実際には積極的な交戦を望む哨戒部隊とたびたび衝突した。
双子のカイザーが外交的解決を妨げた結果、戦時暦015年3月、正式な再宣戦がなされる。

戦時暦015年・夏
ダルメシア群島のヤマイチ支配下、ロイヤルベイ港に滞在していた少数の元ブリトニカ軍将校と海軍関係者が、港内に停泊していたカイゼリア駆逐艦を秘密裏に沈めようと試みる。
破壊工作そのものは独断であったが、事態は制御不能に陥り、ついにはヤマイチと同盟の正式な宣戦布告へと発展した。

戦時暦015年・冬
十二歳となったカイゼリア帝国の双子継承者は、ブリトニカ同盟に対抗する同盟関係を強化するため、歴史あるヤマイチの首都ナラクラを訪れる。
そこで彼らは、神話の皇帝以来空位のままである玉座を見せられる。
それはヤマイチ諸州が対等な立場で自らを治めている象徴であった。
しかし双子はその巨大な玉座に腰掛け、自らこそ二国を治める双帝にふさわしいと宣言する。
この醜聞が市井へ漏れると、首都には暴動が発生し、カイゼリア側は海軍輸送船へ逃げ帰ることとなった。

戦時暦016年・春
暴動はヤマイチ全土へ広がる。
ヤマイチ政府はまず嘆願し、次に正式な謝罪を求めたが、最初の二人の使者は嘲笑され、三人目は双子の威厳を傷つけたとして処刑された。
ここにヤマイチはついにカイゼリア帝国へ宣戦布告し、世界の大半が全面的な戦争状態へと突入する。

戦時暦017年
最初の歩行戦艦ドレッドノートが実戦配備される。

戦時暦019年 モミル強襲
ロゼニア規格の軌道を走れるよう改造した装甲列車二両を用い、カイゼリア軍はロゼニアのホネダー州モミル周辺防衛線を突破する。
この地域は周辺で最後まで真の中立地帯とされていたが、同年のうちにカイゼリアが全域を占領した。

戦時暦021〜022年 グレガーレ諸島戦役
ヤマイチ軍は北グレガーレ海の遠隔諸島を占領し、リベルシア海北部における同盟・カイゼリア両海軍の動きを抑えようとする。
だが、極端な気候と地形のため偵察は困難を極め、カイゼリア軍もリベルテラ軍も、反攻時にはすでに放棄されていた島々を砲撃する結果となった。

戦時暦022〜026年 ジアヌーグ諸島占領
ロゼニア北方の島嶼群は戦略価値が低いと見なされ、大規模戦闘を免れていた。
そのため守備兵は徐々に他戦線へ回されていく。
その後二年間、カイゼリア軍は依然として同盟軍が駐留していると誤認し、散発的な砲撃を続けた。
戦時暦025年末、ついに東端テクシー島へ上陸したカイゼリア軍は、そこが無防備であることを知る。
そして翌026年初頭までに諸島全体を占領したが、同年後半には同盟海軍歩兵によって再奪還された。

戦時暦025年 無為の年
いずれの軍勢も決定的な戦果を挙げられなかった年。
残されたのは甚大な犠牲と破壊のみであり、何ひとつ得るもののない一年であった。

戦時暦028〜029年 第一次グリゴモス会戦
カイゼリア軍は戦力集中によってロゼニア首都グリゴモスへ急進するが、同盟の反攻によって阻止される。
その後一年以上にわたり前線は塹壕戦へ固定され、これがカイゼリア最後の有効な電撃攻勢の終焉と見なされる。
この攻撃の後、ロゼニアの首都はグリゴモスから移されることとなった。

戦時暦033年 カースクダインの戦い
南部戦線におけるカイゼリア突破によって、同盟軍の大部分は包囲され、数の上でも劣勢へ追い込まれる。
壮絶な撤退戦と海上撤収は、後に伝説として語り継がれることとなる。

戦時暦034年
ジェットヘッドが初めて公式に実戦投入される。
この俊敏な航空戦力の出現は空中戦の様相を一変させ、以後、精密な対空兵装の必要性が決定的に高まった。

戦時暦036年 第二次グリゴモス会戦と包囲
夏、カイゼリア軍はノヴグリョフ州を経由する新ルートから旧ロゼニア首都グリゴモスへ進軍する。
この包囲戦は、ほぼ千日に及ぶ長期戦となった。

戦時暦038年 クライタイ島の戦い
ヤマイチ軍はレヴァンテ海最大の島に対して大規模空挺強襲を敢行する。
島のカイゼリア守備隊の多くは懲罰的に配置された部隊であったが、予想を超える抵抗を見せた。
しかし最後には致命的な判断ミスにより飛行場を失い、ヤマイチは増援を送り込んでほどなく島を掌握した。

戦時暦039年 グリゴモス包囲戦終結
包囲するカイゼリア軍はついにグリゴモスを陥落させ、旧ロゼニア首都を占領する。

戦時暦041年 アサコロ港襲撃
カイゼリア軍の奇襲により、老朽化したヤマイチ・ダルメシア艦隊の大部分は港内で不意を突かれる。
この襲撃を境に、ダルメシア海域の各海軍勢力は受け身の防衛から、より積極的な交戦へと移行していった。

戦時暦041年 イゼルハルト機関の初成功再現
グリゴモス地下で発見された資材を用い、カイゼリアは逆解析によって安定したイゼルハルト機関の再現に成功する。
これはシュヴァルツナー・リアクターと名づけられたが、必要な希少燃料の不足により、その運転はごく短時間に限られた。

戦時暦043年 スカラ・デルタの戦い
同盟軍はロゼニアのスカラ川デルタ地帯へ水陸両用強襲を仕掛け、港湾都市ヴートホーイ深水埠頭への通路確保を図る。
しかし、双子のカイザーの驚異的な先見性と同盟側の遅延により、帝国軍はあらかじめデルタ諸島の防衛を強化していた。
泥濘の中で一か月に及んだ激戦の末、勝利したのは同盟側であった。

戦時暦044年 フル作戦
歴史上もっとも大胆な海軍奇襲の一つ。
00/A2ウラシマタロウ・タンクヘッドの支援を受けたヤマイチ志願兵部隊が、イド湾にあるカイゼリアの重要なシップヘッド整備施設を破壊する。
これ以降、カイゼリアのシップヘッドは修理のたびにネハリアン海峡の港まで戻らなければならなくなった。

戦時暦045年 ランペ線攻撃
カイゼリア軍は、グリゴモス再奪還を狙う同盟軍を阻止するため、西ロゼニア戦線で大規模反撃を行う。
同盟側はほぼ完全に不意を突かれ、厳冬によって補給線も断たれた。
森林地帯での近接戦闘と極寒は、十万人を超える命を奪う、戦争屈指の凄惨な戦いを生み出した。

戦時暦046年 初の電圧エネルギー投射兵器試験
シュヴァルツナー・リアクターを用いて、カイゼリア帝国は電圧光子放射兵器の発射試験に初めて成功する。

戦時暦046年 ヌヒヒ・シール諸島戦役
同盟海軍と支配領海軍がリベルシア海で互いに深く絡み合う中、カイゼリアはその隙を突き、ヤマイチ軍のヌヒヒ・シール諸島を無力化、あるいは占領するため大規模海上攻勢を仕掛ける。
この戦役では、グナイゼナウ、グラーフ・ツェッペリン、ヤマト、ムサシらを含む、カイゼリアとヤマイチの巨大シップヘッド同士による壮絶な激突が繰り広げられた。

戦時暦047年 年始の日―ラッテ解放
年初最初の日、カイゼリアは未完成のラッテ試作機を南部戦線へ投入する。
それは当時、史上最重量の陸上兵器であった。
暴走する巨獣を撃破する戦いには、丸二日を要した。

戦時暦047年・春 オーバーヘル作戦
カイゼリア軍は、同盟の生産能力を混乱させることを目的に、リベルテラへの海空連携侵攻を開始する。
戦いは短期間ながら凄惨な消耗戦となり、とりわけ帝国軍が大きな損害を受けて撤退した。

戦時暦047年・秋 ノヴグリョフの裏切り
西ロゼニアのノヴグリョフ州は、新たな首席行政官にセルゲイ・アルラーダーを選出する。
彼は就任直後に東ロゼニアへの忠誠を宣言し、これによってボル=オベズ・タンクコング工場は失われた。

戦時暦048年 ゴッドヘッド計画発覚
カイゼリア帝国のオーバーヘル作戦失敗後の混乱に乗じ、ヤマイチの諜報員たちは、帝国がグリゴモス地下で発見された遺物を用いて超兵器を開発している事実を確認する。
この情報は同盟情報部へと流出した。

戦時暦049年 グランドマスター・ギャンブル
カイゼリア帝国は、他勢力の予想をはるかに上回る速度でゴッドヘッド超兵器を完成させる。
これに対し、ブリトニカとヤマイチは絶望的な同盟を結び、「グランドマスター・ギャンブル」のコードネームのもと共同打撃作戦を発動した。
最終的にゴッドヘッドの無力化には成功したものの、同盟・支配領両軍は敵地深くで著しく戦線を伸ばし過ぎた状態に陥る。
カイゼリア本土は、なおも必死の敵軍であふれ返っていた。
全交戦勢力が脆弱な状態へと追い込まれたことで、小競り合いが続く最中にもかかわらず拙速な停戦が成立する。
その後の交渉はタウベンゼー協定へとつながり、ネヴァーウォーは五十年目を迎える前日に終結した。

戦時暦055年
[機密事項。詳細は Mechanical Encyclopedia を参照。]